キリスト者の人生備忘録

ありのままにさらけ出すブログ

長く仕える果ては・・

19歳に洗礼を受洗し現在34歳。

 

エスキリストに仕えイエス様についていくと決心したのに、15年もの間教会に仕えることとなった。

 

現在15年たったいま変化が起きている。

 

自分が今まで頑なに拒否していたと思わされるほど、砕かれて行く心が露わにされました。

もうすぐ35歳を迎える今、私は今仕えて来た教会を出る決心ができたのだ。

自分がどうとか否定的なものではなく、

神に聞いて神の計画に従う者となって行きたい。

 

なぜ15年仕えた教会を離れるのか

私の教会は、20周年を迎えた教会で監督制と定められている牧師資本主義と言える教会。

5周年を迎えた教会に所属した私は、キリスト教の教職者として働き始めた。

聖書を勉強する専門学校にも3年の寮生活をした。

教会所属する教団にも属し主管牧師から命じられた通りに教会に属した。

 

続く

 

過去の空白の15年の歩みは後ほどアップデートしていきます。

YWAMDTSOkinawaにて

様々な年齢層下は17歳から40歳までが集まる11人の男女混同メンバーでDTSが推奨する全国全世界の牧師が教えに来てくださる勉強の場。

 

かなり充実した時間だった。

 

共同生活の大変さや外国人との関わりに手を焼いたw

 

言葉と文化の違いに生活環境の違い、なにもかも違う環境化ではしんどいという言葉しか出なかった。

 

ただ神を学び、神に忠実に学び、従順を徹底的に学ぶ機会がそこにはあったので苦ではなかった。

 

YWAMDTSで宣教旅行にいくという事で‥

タイのパタヤバンコクだった。

 

貧困地域に対する祈りと伝道。

貧富の差が凄かった。

 

貧富の格差を始めて体験し、これはマジで祈らなければならないと切迫した感覚だった。

 

タイでの生活は結構しんどかった。クーラーがなく、とにかく沖縄よりも暑く環境がひどかった。

 

食事も私自身がパクチーなどの香辛料が体に合わなかった。おかげ10kg痩せたw

 

タイ宣教に行ったのに、なぜか中国人観光客に聖書を配る「イエスアイニー」と言いながら、聖書を配布。

 

そんな日々の生活の中で、タイ宣教は幕を閉じたが、行く目的が定かではない活動に参加しないほうがいい。なぜなら、目的のない物に情熱を注ぐことは無意味である。

 

私が経験したのは主が語り神のために捧げて行く働きには私たちが自ら捧げる働き動いて行くことが大切である。

 

続く

帰国後、変化が‥

日本にいた自分の価値観がまったくもって違っていた。アメリカおそるべし。

自分の人生に転機が訪れるとは思ってもいなかった。

 

CCCは、私の世代が卒業するにあたって終わった(と思う)

 

私も、教会に毎週日曜日通っていたのだが、抽象的に今から説明する。

信仰という器があって、その器には水が入るのだが、自分が選ぶ要素によって選ばないという選択肢ももちろんある。しかし私は選ぶという道を選択した。

器の中にある水が溢れそうになるくらい、プロテスタント教会のキリストという神に仕えもっと知りたい、学びたい、もっともっと感じたいという要求が出てきたのだ。聖書を読むだけでは物足らないくらい自分が神を欲しているのがわかった。

 

その思いを牧師に話すと、YWAMのDTSを勧められた。DTSというのはクリスチャン専門の若者向けキリスト者の集いで6ヶ月間共同生活をしながら、神を知り学び感じる具体的な実践的訓練所だった。

 

そのある場所は沖縄。

 

沖縄で半年生活することを決めた。

YWAMで自分が変われるのかという期待を込めて

 

シェアハウスで生活しながら、学ぶことを選んだ。

 

いざ沖縄に行くと、

暑い毎日で、私が暮らしている地域と全く違う環境ということに気付かされた。

 

初の海外旅行

CCCからアメリカホームステイに行く企画が上がった時、真っ先に行くと返事をした。

親の脛にかじって、アメリカのホームステイに行くという甘えたあり得ない生活だった。

それも行けた事には今も感謝と歯がゆさがあった。

 

初の海外という事もあって全てが新鮮だった。

アメリカのロスからDCまで渡り歩く約1ヶ月の旅に心躍らせる旅行となったのだ。

 

シェアルームで日本から行くメンバーはCCCでは馴染みのある同い年のメンバーだった。

 

今は大手の企業に就職して会う事も出来ないくらい、出世しているに違いないw

 

それだけ格差は生まれてるに違いない。

そもそも論でいうと人の人生にあまり興味がないのだ。

 

率直にアメリカどうだった?と聞かれるけど、

一言でいうと

 

「よかった。」

 

でも、アメリカのロスで、企画したリーダーにブチギレたことがあった。アメリカに行く目的の1つには服を買いたいという目的があったのだ。

私は身長が192cm

体重は100kg

巨漢で、でかく、当時の日本のサイズほとんど着る服がなかった。

だから、アメリカに行ってたくさん服を買おうと計画していた。

当時、アメリカへ行く前に、必要な資金は航空券合わせていくらなのか?滞在費用合わせていくらなのか確認を徹底的にした。トータルで32万円くらいだった。なんせ初の海外で初のでかいTシャツやいろんな服が着れる期待があったので、1ヶ月行くなら、10万は余裕を持って行きたいと思い、予算を少し引き上げていたのだが、

 

アメリカのロスに着いてから、リーダーから衝撃的な言葉が!?

 

じゃあ今から用意していただいた費用以外に連れて行きたい場所に必要な経費の支払いをお願いします。と言い出した。これにはさすがキレた。

同い年のみんなはボンボンだから、別にいいよって感じだったけど、私はぶち切れモードで、怒りで頭にきてた。

 

「何言ってんだ?あれだけ日本で確認して必要経費や全てに関わる費用が必要かどうかは話して打ち合わせしてきたのにいきなり、何言っちゃてんの?」

 

さすがに周りを氷つかせた。

 

結局、リーダーは非を認め、謝罪。

私にとっては謝罪よりも金を返せと思っていた。

 

予備で服を買うための10万は半分以下になったのだ。

 

ショックだった。

 

アメリカ到着してすぐの出来事だった。

 

もうその時にはアメリカより、怒りで頭がいっぱいだった。

 

そうこうしているうちに、アメリカの食事文化生活歴史環境観光あらゆる全てを楽しんだ。

 

途中お目当ての服も黒人が路上販売する露天で購入できた。

 

なかなか大きなサイズやアメリカで黒人が神と崇めるスティービーワンダーやマーチンルーサーキングジュニアなどの顔写真が入ったTシャツを5Lサイズで1枚1000円格安だ。

5枚一気に買ったw

 

そんなこんなで、アメリカから無事に帰国、

日本に着いたら、10kg太ってたw

 

ジャンクフードを3週間食べ続けると大変なことになることを始めて理解した。

 

そうして若者は勉強して行く。

CCCに通う日に事件

CCCに行くためには、車通勤をしていた。

当時に乗っていた車は昭和後期の車でスズキアルト。レトロでカスタムして乗っていたのだが、よく頻繁に故障していつも躍起になっていた。

CCCのイベントで市内の方へ行く時、高速道路に乗った。途中の高速道路のICでボンネットから煙が吹き始めた。運転していると前方が見えないほど、真っ白い煙が湧き上がったのだ。傑作だった。

幸いにも、出口を出てすぐにガソリンスタンドがあった。そこで見てもらうと、ウォーターポンプが破裂して水が全くない。自走不可。

ガソリンスタンドから世話になっている車屋に連絡。すぐに取りに来てもらった。

さて、そのままCCCの活動に参加したのだが、、アクシデントも特にきにする事もなく、楽しんだ。

当時の自分はなんとかなる思考を持った、楽観的主義でフリーターでニートに近いものだった。バイトも自分の都合で休む厄介な従業員だった。むしろ従業員という認識ではなく、派遣という言葉もないくらい、何も考えず働いていた。

働く職場では運送屋。仕分け、配達、受付業務、ほぼ全般取り扱ってがむしゃらに働いていた。

しかもバイトの働ける時間が労基で関連していたので、自分勝手にバレなきゃいいという感覚で掛け持ちしながら、運送屋を3つ請け負い働いていた。

よくそんな体力があるもんだ。

当時からだともうすぐ15年

全然体力がなく、もはや現在では精神的にも痩せて身体的には、デブ。笑えない。

 

阪大と関学がコラボするCCCという学生伝道に

私は大学には行っていないし、特に大学に行ってないからといって劣等感などはなかった。大学に行くというのは、何のために行くのか、そんな疑問がいつも頭を思い巡らせていた。

今もうすぐ35歳になろうとしているが、専門職として知識やノウハウを得たいという要求が頭を思い巡らす。

それはさておき、CCCというにはキャンパスクルーズセイドという大学生対象に外国人との交流を通じてキリストに出会う機会を与えるスペシャル的なイベントのことだ。

このCCCの活動に紹介してもらい入った。自分と同世代、当日21歳くらいだった。歳をとるもんだと今はつくづく思う。

若いし、独身だし、お金もなく、大学生の女の子をみるたんびに、心ではいやらしい視線で見たり、ケツがでかい、パイがでかいなどをよく見て楽しんでた。

当時の自分は特に偽善者と呼べるに相応しい名称だった。

目的はキリストではなく、大学生との関係性と国際交流の場で世界とつながる大切な時間だった。CCCに通ってると、事件が起きた‥