キリスト者の人生備忘録

ありのままにさらけ出すブログ

中学一年から高校卒業まで

中学一年入学式から友達が全くいない環境でよく生きて来れたなと思う。しかもヤンキー中学だとはまだ知らなかった。入ってすぐにチビなやつと知り合いになったが、互いに牽制しながら、知り合うも、校舎の玄関付近で言い合いとなって一方的に殴られた。殴られた時、相手のチビは空手をしていたと聞いた。本当に悔しかった。殴られた後、当時中学3年のヤンキー番長が間に入り、助けてくれた。

自分は痛いのと心が痛むのと両方とも負ったデカブツだった。中学に入った時からすでにコンプレックスの塊だった。ヤンキーが多い中学に喧嘩が絶え間ない学校で誰と友達になれば模索していた。

そんな時、喧嘩が強く凄くいいやつと出会ったのがH君だった。

彼は、エレキギターを引くタバコを喫煙しながらありのままのカッコいいやつだった。

彼と中学生活を送る大切な仲間となった。

彼は、男前でいつも楽しく陽気で気さくでBz好きなやつだった。彼からBzを教えられ好きになった。

彼と歩む中学生活は楽しかった。泊まったり、励まし合う中学生活を送った。

高校生に上がってからだった。H君は高校を中退したのが入学してすぐだった。それから彼は働き出しお金を稼ぎエレキギターもプロになりつつだった。次第に彼とは連絡を取らなくなっていた。

高校に上がってから、原付の免許を取って原付を母親から購入してもらって、原付で移動することが多くなった。その時、よく遊ぶ友達がFくんとMくんだった。彼らはH君の友達。

彼らと青春時代を過ごすことが多かった。

原付で連なって走りまくった。地方によく言ったことを思い出す。高校一年のときに好きになった女のこがいた。彼女はカスミという名前だったと思う。

彼女はセクシーで美人だった。でも一年で中退してキャバクラで働いてるとかで、退学させられた。

そんな彼女を好きだと思いながら、月日が経ち、次第に時が流れた。高校一年からバスケ部に入部。

この時すでに身長は180cmを超え体重は100kgを超えていた。メンバーに抜擢されて頑張っていたつもりだったが、正直部活が嫌だった。やめたいと思ったことしかない。毎日やめたいと思って卒業を迎えることになった。

卒業式の日、部活からの解放で世話になったバスケ監督に挨拶なしで帰り学校を後にした。

 

 

生まれてから中学まで

私の人生を振り返る。

わたしは昭和58年に生まれた。

生まれて間もなく、父親が交通事故で他界。

家族構成は母親・祖父・姉が2人・伯父にわたし。

物心がついたのは小学2年の頃、掛け算を覚えるのに九九を日が暮れるまで覚えた事が印象にあるからだ。小学高学年を迎えた頃、音楽授業の教師がおばさんでいつもおっぱいが見えるセクシーババァだった。しゃがんだり、横についたりするとおっぱいが見えていた。その時はマスターペーションなどは全然意識していなかったから陰部が勃つと言うことはなかった。

小学校のとき、友達と呼べるのかわからないが、複数の友達と公園で遊んだり、河川敷で遊んだことを覚えている。

しかし、友達と呼べるのかよくわからない理由は、自分が小学校の時代の記憶を封印した。記憶を抹消した事から、名前が思い出せない。

幼馴染の友達1人だけしか覚えていない。

今となっては本当にくだらない幼少期と言えるかもしれない。自分の封印する時代の話を解禁しようかと思う。小学時代はまさにデブで自分の体のことで悩む毎日だった。例えば、体育の時間にズボンを履き替える際にブリーフパンツにうんこがついていた事をSというやつが周囲に面白がって言いふらした。その事で、可愛いと思っていた女の子にも知られて気まずくなった事を思い出す。

ある時はジャングルジムで遊んでいた時、Fというやつがわたしを馬鹿にした事をキッカケに始めて人を殴ってやろうと思った。しかし、喧嘩をしたこともない自分は弱気ですぐ泣く意気地なしの自分は返り討ちになった。ボコボコに何度も殴られた。その時に自分の弱さと意気地なしと言うものが頭によぎっていた。ある時は給食で嫌いだったコッペパンを帰り際に校庭に捨てたことが、友達の兄貴に見つかり先生に呼び出しされこっぴどく叱られた。それからだった、弱い者イジメをするきっかけとなったのは幼馴染の女のこを突き飛ばして怪我をさせた。親も呼び出し先生も相手の親も呼び出し、こっぴどく叱られた。

小学校から中学に上がる際、校区が違う場所に引っ越して小学時代に一緒だった友達すべてと離れ離れとなり友達1人もいない状況からスタートした中学一年。続く

 

このブログをスタートしたキッカケ

わたしは34歳の変わった人生を辿る経緯をこのブログに綴って行きます。要は愚痴を零すブログ。わたしの職種は後ほど書きますが、一風変わった職業であり、信用と信頼を得なければやっていくことなんてありえない仕事です。

そんな自分の人生をこのはてなに記載し、天望を望む。