キリスト者の人生備忘録

ありのままにさらけ出すブログ

生まれてから中学まで

私の人生を振り返る。

わたしは昭和58年に生まれた。

生まれて間もなく、父親が交通事故で他界。

家族構成は母親・祖父・姉が2人・伯父にわたし。

物心がついたのは小学2年の頃、掛け算を覚えるのに九九を日が暮れるまで覚えた事が印象にあるからだ。小学高学年を迎えた頃、音楽授業の教師がおばさんでいつもおっぱいが見えるセクシーババァだった。しゃがんだり、横についたりするとおっぱいが見えていた。その時はマスターペーションなどは全然意識していなかったから陰部が勃つと言うことはなかった。

小学校のとき、友達と呼べるのかわからないが、複数の友達と公園で遊んだり、河川敷で遊んだことを覚えている。

しかし、友達と呼べるのかよくわからない理由は、自分が小学校の時代の記憶を封印した。記憶を抹消した事から、名前が思い出せない。

幼馴染の友達1人だけしか覚えていない。

今となっては本当にくだらない幼少期と言えるかもしれない。自分の封印する時代の話を解禁しようかと思う。小学時代はまさにデブで自分の体のことで悩む毎日だった。例えば、体育の時間にズボンを履き替える際にブリーフパンツにうんこがついていた事をSというやつが周囲に面白がって言いふらした。その事で、可愛いと思っていた女の子にも知られて気まずくなった事を思い出す。

ある時はジャングルジムで遊んでいた時、Fというやつがわたしを馬鹿にした事をキッカケに始めて人を殴ってやろうと思った。しかし、喧嘩をしたこともない自分は弱気ですぐ泣く意気地なしの自分は返り討ちになった。ボコボコに何度も殴られた。その時に自分の弱さと意気地なしと言うものが頭によぎっていた。ある時は給食で嫌いだったコッペパンを帰り際に校庭に捨てたことが、友達の兄貴に見つかり先生に呼び出しされこっぴどく叱られた。それからだった、弱い者イジメをするきっかけとなったのは幼馴染の女のこを突き飛ばして怪我をさせた。親も呼び出し先生も相手の親も呼び出し、こっぴどく叱られた。

小学校から中学に上がる際、校区が違う場所に引っ越して小学時代に一緒だった友達すべてと離れ離れとなり友達1人もいない状況からスタートした中学一年。続く