キリスト教に入信
キリスト教に通い始めて、音楽学校をやめて、フリーターになっていた。その時はまだ風俗に通っていた。自分の性欲の塊には本当に愛想がつくほどの欲求不満だったのだ。
それでも教会に通いながらの日々だった。
教会に通っていると、牧師のおばさんがキャンプに参加してみてはいかが?という紹介があった。
なんのこっちゃわからんキャンプに行った。
すると、あとで聞いた話では牧師家庭で育った若者の集まりのキャンプだった。
自分は信じてもいない多神論者でセックス依存の馬鹿者だった。そんな自分が彼らと一緒に教会でお泊り会のようなものが2泊三日くらいで行われた。
参加した理由も不純な動機だった。
可愛い子がいるから参加してみようだった。
キャンプがスタートするなり、聖なる純真な彼らは俺にとっては眩しくて目も合わせることができないほどだった。そんな彼らと一緒に生活する中で、俺は羨ましく思えたことだった。彼らの心がとても柔らかくて優しく包み込む感じだったからだ。
彼らと一緒に居たいと思えるようになった。
友達っていいなぁって思えた。
そのキャンプの最終日もう終わりかけって時に、みんなが俺のために歌をプレゼントしてくれた。
「君は愛されるために生まれた」
その歌を通じて俺の19年間の思いは溢れて涙が枯れそうなくらい流れて泣いた。
その時にキリスト教に入りたいと心底思った。
月日は流れてキリスト教に入信した。