キリスト者の人生備忘録

ありのままにさらけ出すブログ

キリスト教の恋愛〜破綻編〜

教会に通いながら、教会の牧師の娘に魅力を感じ、ほぼ毎日一緒に居た。教会の中では聖書の教えがルールであり、男女の付き合うという理念はない。むしろ結婚が前提で結婚しないといけないというのがルールだった。自分が好きになった人は清く正しい人だった。気がつけば彼女を好きになって居た。彼女のことばかりを思い、教会活動の中では不純な動機で奉仕をして居たのだった。

やりたくないことでも、彼女に好かれようとやりますと言ったり、彼女がすることに助けるといった動機があったのだ。そんな恋愛が実現するわけもなく、あっさりと好きだというと振られ、しかも結婚相手がいて、みんなをびっくりさせて結婚すると言い出した。これには、私だけでなく皆んな驚いた。

そんな折、紹介されて同学年の世代が集い、皆が一つとなってめいいっぱい遊ぶという大学サークルに招かれた。その大学サークルで自分の遊びたい欲求が爆発してめいいっぱい楽しんでいた。

そんな日常を送っていた時に転機が訪れた‥

2度目の人生がスタート

入信してからの生活がガラリと変わった。

 

風俗に通っていたなんて思えないほど、今は教会に通っている。

 

その教会は、とても美しく真っ白で純白で清い場所だった。

 

そこに行けば、自分の心が清められていくという思いがあった。

 

そんな矢先に、起きた事件。

 

自分はクリスチャンと言いながら、風俗へ行ってしまったのだ。何気なく通った道のすぐそばに風俗街があって、そのまま欲望のままに行ってしまったのだ。

 

聖書の中には姦淫を犯すものは罪に定められるとある。いやむしろ、頭の中だけで異性に対して、イヤラシイ思いをするだけで罪であると書いている。

 

風俗に行った週末の日曜礼拝に出席した自分は最悪だったのだ。

 

罪悪感が溢れて自分が教会にいてもたってもいられない思いとなったのだ。

 

もう自分は消えてなくなりたいという気持ちでその場所を後にした。

 

今思えば、悔い改めてしっかりと方向転換していればよかったのかもしれない。

 

それから自分は教会に行かなくなった。

 

行かなくなると教会の牧師さんから連絡を受ける。

 

教会に来なさいと。

 

自分は教会に行くのが億劫になっていた。

 

教会に行くと、温かく迎えてくれた牧師さん。

そんな牧師さんから一緒にあなたの状況や問題の取り扱いについて祈って見ないか?と言われたのだ。

 

そこで迷わず、祈ってもらった。

多くの時間を費やして自分の問題について祈り、自分の気持ちが楽になっていた。

そこから自分の習慣や思いとが間違いで聖書に書かれた言葉に従うなら楽になれると知った。

 

 

聖書の言葉に最初は疑いしかなかった。

 

聖書はどこの誰が作り誰が何のために語るのか疑問だらけだった。

 

しかし、神の言葉によって神が造られた事を知ったものが先の人生に最も影響している。

 

クリスチャンになってから‥

エスキリストを信じて洗礼を受ける前にあった懺悔のとき、牧師さんから一枚の紙をいただき、そこに人生で後悔、罪を犯した事、捨て去りたい全てのことがあるなら書きなさいと言われた。その神に自分が書いた事は、風俗に通ったり、女性に対する意識の変態さや傲慢さ、欲求不満や執着心などだった。振り返りたくないという一心で綴った。その書いた紙を封筒に入れて、燃やすというものだった。悔い改めるというのは、自分だけではできないもの。懺悔を一枚の紙と思いとが火によって燃やされて行った。

その事から風俗に行くことをやめた。

女性に対しても下着姿を思い巡らすことがなくなったのだ。これは自分にとって清くなる感覚でもあったに違いないと思っていた。

 

よく参考書などで「不純な動機から始めて見よう」というタイトルの書簡などがある。

 

全くその通りだと思う。

 

キリスト教会に入信してから自分がどれだけ罪深く哀れな者なのか、そしてそんな自分と向き合うことになるなんて思わなかった。

入信・洗礼からの信じるしかない出来事

入信する際、洗礼を受けることが教会員になる掟だった。聖書を話す言葉に耳を傾けて真面目に話を聞くようになった。洗礼を受けることはまだ未成年だったので親の承諾なしでは受けることができなかったので親を説得して許可をもらった。

洗礼を受けた。

教会堂の十字架の下にバスタブがあってジャポンと浸かる形で、洗礼を受けた。

その時はまだこれから起きる事は予想もできないものだった。私は大きなバイクが好きでカワサキのバルカンクラシック400という単車を乗っていた。

いつも通る道を走って居た時、横からノーブレーキで突っ込んでくる軽ワゴン車だった。ぶつかった瞬間はスローモーションで本当に死ぬかと思った。

右手骨折と全身打撲で済んだのだが、もしかしたら本当に死んで居たかもしれないと思わされた怖い出来事だった。

そして、ここで初めて語る病気について話す。

わたしには、とんでもない爆弾を頭に抱えていた。

実は中学から19歳までの間に「分藩頭痛」と診断されストレスをキッカケに頭痛が起きて、発作のように頭が割れそうなくらいの変則的な激痛が起きてしまうのだった。

教会の食堂でコーヒーを飲んでいる時も発作的にその頭痛が起きてしまった。

その時だった。牧師さんや伝道師さんがわたしのためにお祈りしてくれたのだが、お祈りが始めた瞬間気を失った。

気を失って目を冷ますと真っ白い空間に白い雲が立ち込める場所に立っていた。

自分は一体どこにいるのかわからないけど、多分死んだって思えた。

その白い雲が立ち込める中で大きな門のような場所にたどり着いた時だった。門前で立つ人のような王冠を被った人が、わたしにニコリと笑ったかのようにした時、目が覚めたのは、教会の一室だった。

とてもスッキリして気持ちが良かった。夜遅くに目が覚めたのだが、いつもだったら目が覚めたら病院のベッドだった。この幻のような信じられない体験から現在にかけて15年経つのだが、一度も頭痛が起きていない。この体験から自分がようやく、神の存在を認識してきたのかも知れない。

キリスト教に入信

キリスト教に通い始めて、音楽学校をやめて、フリーターになっていた。その時はまだ風俗に通っていた。自分の性欲の塊には本当に愛想がつくほどの欲求不満だったのだ。

それでも教会に通いながらの日々だった。

教会に通っていると、牧師のおばさんがキャンプに参加してみてはいかが?という紹介があった。

なんのこっちゃわからんキャンプに行った。

すると、あとで聞いた話では牧師家庭で育った若者の集まりのキャンプだった。

自分は信じてもいない多神論者でセックス依存の馬鹿者だった。そんな自分が彼らと一緒に教会でお泊り会のようなものが2泊三日くらいで行われた。

参加した理由も不純な動機だった。

可愛い子がいるから参加してみようだった。

キャンプがスタートするなり、聖なる純真な彼らは俺にとっては眩しくて目も合わせることができないほどだった。そんな彼らと一緒に生活する中で、俺は羨ましく思えたことだった。彼らの心がとても柔らかくて優しく包み込む感じだったからだ。

彼らと一緒に居たいと思えるようになった。

友達っていいなぁって思えた。

そのキャンプの最終日もう終わりかけって時に、みんなが俺のために歌をプレゼントしてくれた。

 

「君は愛されるために生まれた」

 

その歌を通じて俺の19年間の思いは溢れて涙が枯れそうなくらい流れて泣いた。

 

その時にキリスト教に入りたいと心底思った。

 

月日は流れてキリスト教に入信した。

 

人生の転機(赤裸々に)

ゴスペルを勉強していたある日、地元のお洒落なたこ焼き屋があった。

そこでたこ焼きを食べていたらマスターが、音楽好きで話が盛り上がっていた。

その中で、マスターに「ゴスペルってCDとかってない?知らない?」

マスターには「知らへんなぁ。せやタウンページ開いてみよか!」

タウンページを開くと当時住んでいた場所から20分くらいの場所に小高い丘にある教会にお店があってそこにCDがあるとタウンページに書いてあったので、たこ焼きのマスターと一緒に教会に行った。

 

当時、教会なんて初めてで新しい新鮮な気持ちで教会に入った。お店は奥にあって、小さな8畳ほどの部屋にあった。その時に接客してくれた女性がAさんだった。めちゃくちゃ綺麗で可愛くて、セックスしたいと思った。頭の中ではすでに罪を犯すどころか、セックスのことで頭がいっぱいだった。

ゴスペルのCDをたこ焼きのマスターがおごってくれてCDを家に持って帰って聴いていた。

 

聴いていると聞いたことのないような音楽で新鮮だった。英語だったので意味はわからない。

しかし、何故かわからんが涙が出てきた。

不思議な曲だなと思っていた。

 

数日後

 

あの教会に行けば、めちゃ可愛い女の子と知り合ってセックスできるかもと思い、教会に行った。

すると、コーヒーハウスとか言って喫茶店みたいな感じで、外人がいっぱいいた。

外人は俺に話しかけてくるが何が何だか分からん状態で混乱、でも外人は巨乳で金髪でセクシーだった。下着が普通に見えてる感じで距離が近い。なんだかエロい雰囲気が好きで通うようになった。

不純な動機で教会に通い始めたのだが、聖書を持ってきたオバハンは聖書の話を俺にしてくるが頭の中ではセックスのことでいっぱい、頭の中では、女性の胸を触ったり揉んだりしている。そんなかでオバハンの聖書の言葉は理解不能だった。最初は意味不明で最後に祈りがあって最後にアーメンといえばOKだったみたいなので、言い返して終わった。

教会に来たのは不純な動機で自分がセックスパートナーを探して教会に来たなんて言えるはずもなかった。

高校卒業から19歳まで

高校卒業後、就職した。

町外れの工場地帯の一角に倒産しかけの会社に正社員で入ったのだが、メンツが最悪だった。変態ばっかでくだらない人たちの集まりだった。

クズばっかで仕事内容も病気になってガンで死ぬやつらの集まりだった。

内部では男性の職場だったので、イジメもあったし、くだらないやつらいつもあの女を抱くとかばっかだった。そんな矢先、自分もクズの仲間入りした日が風俗にデビューした日だった。

風俗連れて行かれて、女とセックスするなんて夢のようだった。しかも先輩のおごりだった。

初めての童貞を捨てた時は、凄く美人で綺麗で優しい風俗嬢だった。

彼女のからだは綺麗で優しくリードしてくれた。

彼女から俺の陰部を使って入れてくれた。

初めてだった俺は陰部が小さくなって入れることができなかった。だから、胸を触り、キスして終わった。それからだった。給料をもらうとすぐに風俗通った。就職して5ヶ月しか働いていないにすぐにやめた。その会社で働くのはもう嫌だというわがままでやめた。自分の中で、風俗に行ってヌいてもらったりセックスをする事で男性ホルモンが分泌されたのか男としての気持ちが湧いて出てきたのか、気持ちや心意気というものが弱気で貧弱な心が強くなって行った。この頃がまだ19歳になったばかりだった。

19歳から自分の人生の中で転機が訪れた。

カラオケに行った時にそれが起きた。実は中学から高校にかけて音痴だったのだ。

音痴な自分が19歳のときカラオケに行ってゴスペラーズやケミストリーなどの歌を歌っていた時に、路上ライブをしていた友人とその友達たちと来ていた時、何気なく歌えそうな曲を歌っていた時に、

「上手い。歌が上手いだね。」

その褒めてもらったことがきっかけだったことで、音楽学校に行こうと決めた。

ある都心にクズだと思った小さな音楽学校があった。タウンページやネットをきっかけにその音楽学校に行こうと入学手続きをしに行った際、チャラそうなSoulかぶれのDJみたいなおっさんが面接官で、音楽のムーブメントを見てきたみたいな口ぶりで2時間くらい一方的に話を聞いて、学費が一年で100万円の高級音楽学校に行くことになった。その時に母親は「あんたの人生だからめいいっぱいやってこい。」と背中を押してくれたのだ。

通い始めた頃、人間関係が酷かった。

出会った約10名のメンバーはそれぞれに問題を抱えていた。男女5:5くらいの比率で、ありえないくらいやばいやつの集まりだった。精神病の女やキャバ嬢や田舎娘や自分は普通と気取った変な女がいた。

次第に俺以外の奴らと付き合うとか振られたとかで歌どころではない感じだった。

歌について

ここからはあくまで主観

まず音楽学校を選ぶべきだった。

環境のせいにもした。

人のせいにもした。

しかし一番自分がしたいと思うノウハウを見つけることができなかった自分を責めた。

やるせなくて歌が嫌いになった。むしろ、歌を教える先生が嫌いだった。雑な教え方とプライドの塊の女性教師。彼女デブでいつもブスッとした面構えだった。そんな教師の顔を見るのも嫌なくらいのスパルタ教師で今じゃ、パワハラモラハラの禁句ワードが引き締め合う最悪な授業だった。オーディションに出ようにも、人前で歌うことすら嫌になってしまうほどの音楽学校で5ヶ月でやめてしまった。

やめてしまう1ヶ月前に遡る。

その時音楽の授業で「R&B」についての原則を学ぶ内容だった。ルーツとはなんなのか?

その起源が黒人音楽のゴスペルだった。

そのゴスペルを勉強しながらゴスペルというものが一体何なのか?気になって行った。